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佐藤渉の「飲む!打つ!」

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2003/07/23(水)  アメリカへ其の3
 ガ○ンコ風の引っ張りから続く今回、ついにその衝撃の内容が明らかに!!
(ふぅ、慣れないテンションはタイプするだけで息切れがする)
 さて、四年生の僕はクラブの見学にて重大な発見をするにいたった。
 なんとクラブでは弦楽器が女子、管楽器が男子とはっきり別れていたのだ!別にそう決まっていたわけではないのだが、伝統的にそうなっていたのだ。僕は知らずにスカートをはき続けてきたような気持ちになり、三年間習ったバイオリンをあっさりやめ、管楽器への転向する事にした。
 多くの男子生徒が金管楽器を志望したが、僕はクラリネットを選んだ。見学の時にヴェルディの「シチリア島の夕べの祈り序曲」の練習が行われていたが、長い木管ソリの中のクラリネットの音色にとても惹かれたのだ。
 それからは毎日三時間位の練習があり、コンクールに出たり、ソロの発表会があったりでとても充実していた。日曜日には少年野球もやっていた為、休みの日は年間に数えるほどしかなかったが、小学生当時の僕には体力があったらしい。

 そんなこんなで、勉強には一切興味を示さずにきた僕だったが、中学生になる少し前、英語に対する不安から国際人養成道場なる名称の英語塾に通い始めた。そこには一風変わった森川校長なる人物がいて、この人こそ、僕に強く留学を勧めてくれた人物なのである。

続く


2003/07/17(木)  アメリカへ、其の2
 そんないきさつでバイオリン教室に通い始めた僕は、一日三十分と決められた練習が苦痛でたまらずいっこうに上達しなかったのであった。
 この頃は外で野球をしたり、ドブに生息するザリガニを釣り上げたり、ドクターペッパーをまずいと思いながらも飲み干したり、江戸川河口で釣ったハゼを天ぷらにして食べた
後日、工場の排水による貝や魚の奇形が新聞で報じられて、一家で「シェー」となったりに忙しかったのだ。
 その結果、三年間でボッケリーニのメヌエットを弾ける程度にしかならなかったが、ようやくクラブに入部出来る4年生の春を迎え、意気揚々と音楽室に入った僕に衝撃がはしった!



続く


2003/07/11(金)  アメリカへ、其の1
これから、僕がアメリカにサックスの勉強に行ったわけ、そしてアメリカでの生活の様子を何回かに分けてお伝えしたい。
何故アメリカなのか、そもそも何でサックスなのか等々を理解してもらう為に、かなり時間を遡っておく。



 僕が音楽を始めるきっかけは、実家の引越しだった。
幼稚園までは千葉の稲毛に住んでいたが、県内でも少し東京寄りに引っ越したのは僕がちょうど小学校に上がる時だった。
 引っ越した先で通う事になった小栗原小学校には70人編成のフルオーケストラ(合奏クラブ)があり、学内の式典のBGMを受け持っていて、僕の参加した入学式でも演奏していた。
後日母に聞いた話だが、そこでの演奏にいたく感激したおかっぱ頭の僕は式の直後「あれをやりたいのら」と鼻水を垂らしながら言ったのだという。(「ぐわし」とは言わなかったのだという)
 母がクラブの先生に詳しい話を聞いたところ、クラブには四年生からしか入れないので、バイオリンを習わせると良いと言われたらしい。
そして、僕は隣町のバイオリンを習いに行く事になったのだった…。

続く


2003/07/08(火)  打った!
今日は一日セットで麻雀を打ちました。
はやすぃだーさん、あわずぃさん、こーめいさん、お疲れ様でした。
其の時の写真を林田さんに撮って頂いたので、後日ここにアップします。
ところで、僕が何故アメリカに行ったのかは、次回から必ずお伝えします。




2003/07/01(火)  飲んだ、打った、負けた
リサイタルが終わってから、二日間遊んだ。
明日の体調を考えずに飲む酒はすこぶる旨く、明日の起床時間を考えずに打つ麻雀はとても楽しいのであった。(が、おおいに負けたのであった)

次回からは僕がアメリカに行くきっかけとなった出来事を紹介していきたい。


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