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林田和之の「怒りの物欲日記」

( 2003/07 ← 2003/06 )


2003/06/20(金)  中学生...「興味は移る」
小6のころ、あこがれの半分ネイキッドモデルのシャアザク(¥2500位した)を最後に、ガンプラから少しずつ興味が違う方向に走り始めた。それは「エアガン、空気銃」だった。

またこれがピンキリで雑誌の中に広告で載っている上等なモノは¥15000くらい平気でしてしまうんです。
そこで金のない中学生の僕はエアガンのプラモデルを見つけてしまい、ハマっていくこととなりました。

最初に買ったのは「コルト・ガバメント」でした。これはオートマティックで弾を打ったら薬莢(やっきょう)が飛び出すというプラモにしたらホントに良くできていて一番のお気に入りでした。

マニアックになってきましたが説明を。エアガンとは空気を圧縮してポンプにためて、引き金を引くと圧縮された空気がBB弾という専用の弾を飛ばす、といったものです。他にもフロンガスを充填するモノ、ガスボンベをホースで直結するモノなどあります。

他に所有したのは「M16A-1、アサルトライフル」「ワルサーP38」「ルガーP08」「S&W.44マグナム8,3/8インチ」「ベレッタM92F」「UZIピストル」「44オートマグ」「トンプソン・サブマシンガン」だったかな?結構持ってたんだな...
これらは完成品ありプラモありですがプラモのモノは中のバネを足したり伸ばしたり試みてパワーアップをはかりました。今は一つも残ってません。物々交換をしたり、人にあげたり。

なぜかガンプラの興味がなくなってたので完成した「コルト・ガバメント」で「量産型ザク」を撃ちまくって破壊活動に専念していました。晴れた日、公園にライフルを持って鳥を撃とうと試みたり学校に持っていって自慢したり...

何年生の時かこんなことが。お気に入りの「コルト・ガバメント」を昼休みに取り出して遊んでいたら後ろからエアガンを取られ、「はーい、林田ー、後で職員室にこーい」と...
何と1階の窓際で、窓を背に発砲を試みようとしていたら、学校でもトップレベルの恐さを誇る体育の先生が僕の自慢のモノを...

この話には続きがあり、実は実家は制服屋で自分の学校の出入り業者でした。おかあが仕事で来たときついでに校長室に呼び出されエアガンを返してもらいました。おかあは「おにいは成績が良すぎてほめられたことがあんのに、おまえはホンマに...なっさけないなー」と落ち込んでました。僕は僕でその時教頭先生に「林田君、ホンマにお母さんと良く似てはんなー」と言われたことがよっぽどショックでした。



2003/06/19(木)  小学生のときは...3 「靴」
今でも忘れない靴がある。
僕は少しマニアックな趣味かもしれない。
子供の時に欲しくて買ってもらったモノが今でも十分にかっちょいいと自負できます(あくまでも自分の趣味で)。

小学校6年生の時、おかあといとこの家に遊びに行くこととなり、そのついでに京都の繁華街のとあるデパートに行くこととなった。僕の物欲が母親譲りと言ったようにおかあはかなりのデパート好きだ。もちろんおかあは広告をチェックして決めていたようだ。僕も何かこうて(買って)もらおうと広告チェックをしたら「ブランドスニーカー、どうのこうの...」とあり、「何か靴をこうてーな!ブランドもん、ブランドもん!」と興奮してフガフガ言ってました。そしてデパートに行ってワゴンセールの靴をおばちゃんモードであさりまくって2足の候補をあげました。それはナイキの紺地に黄色のマークのモノ、と、アディダスのスエードの薄茶色のスニーカーでした。ナイキは確か¥4000弱、アディダスは¥9800だったと記憶しています(今から18年前のバーゲンでこの値段!)
子供心にアディダスは高すぎると思いましたがスエードということ、さらに靴底のゴムの部分がびっちりとアディダスマークで埋め尽くされているのをみて【なにがあってもこれ!!!】と強い決意をもってめちゃめちゃねだりました。
おかあは根負けをして買ってくれて、後、いとこん家の畳の上で新品の靴にひもを通し、まっさらのスエードアディダスを履いてにやにやしてました。ゴム底のアディダスマークをもなめそうな勢いで...
今でもかっちょいいと思います、ほんまに。

似たような話で小学生後半から中学生の頃、めちゃコンバースのバッシュ(バスケットシューズ※1)がはやりました。

※1=関西人はホンマに略する。有名だが「マクドナルド」は「マクド」。「モスバーガ」ーは「モスバ」。「ケンタッキー」は「ケンタ」もしくは「ケンチキ」もしくは「とり」(ほんまか?!と突っ込まれそうですが...)他にも「ガソリンスタンド」は「ガススタ」などなど。おかしいもんがいっぱいありそう。

中学生の頃にはみんな当たり前のよう履いていて僕もハイカット、ローカットと何足か履きつぶし、目新しいモノを探していたら「牛ガラ(模様)」の白いところが「夜光(塗料で蓄光して暗いところで光る!)」のコンバース(だったのだろうか?)を買いました。何年か前にコンバースのガラモン(柄物)が流行ったときに妙な優越感と当時からの趣味のズレ...を感じました。

つづく...そろそろ中学生に...



2003/06/16(月)  小学生の時は...2 「ルーツ」
前回、自転車を買った話をしました。
乗り物好きなのでまだまだこれから先に、バイクや車の話をしていく予定ですが、やはりチャリの話を!

運動神経が無く、体育の成績ははずっと「2」でした。が、チャリだけは得意でどこまででも走っていきたいくらい大好きでした。5年生くらいの時は学校が終わってから河原沿いにある自転車専用道路をひたすら走り、京都と大阪の境目まで行ったりもしました。手放し運転も得意で、うちの実家「嵐山」駅から「松尾」駅まで手放しで走ることに成功もしました。公園内の階段を走ったり、堤防沿いの土手を下ったり...頭のスイッチが切れるほど乗ってました。高校ではスクーターを購入、今では中型バイク(400cc)を保持、とこよなく2輪を愛しています。

その自転車は、ハンドルの角度を変え、グリップを透明のオフロード用のようなモノに交換。二人乗りのステップをつけ(ホントは曲乗り用)オリジナリティを小学生ながら求めてました。この文を書きながら「今も全く変わってないなー」と痛感しています。今乗ってるバイクも同じことをしてるんですよ...バイク話はまた後日。

後はこれまた流行ったスポーツブランド!
アシックス、アディダス、ナイキ、などなど。
僕らの世代は心当たりあるやろ?ガンプラと同じく!
僕のお気に入りだったのはアシックスの赤いジャージ、アディダスのカバン、アディダスのスニーカーの3点がめっちゃ記憶に残っています。

カバンは6年生になる直前に買ってもらい、そのカバンを持ちたいがためにランドセルをやめてしまいました。当時の先生に「はっちゃん(ぼくのあだ名)はなんでランドセルできーひんの(来ないの)?」
「(太ってて)窮屈だからです」
などと苦しい言い訳を吐きアディダスのカバンと優越感をひっさげて登校していました。

靴、それは今でも大好きなアイテム。高級が好き!というわけでもないですが少しこだわりはあります。はい。
おっと、時間が来たようなのでこの辺で。次回は思い出の靴を語りましょう。

というわけでさらにつづく...。


2003/06/15(日)  小学生の時は...
小学生時代に猛烈に(懐かしい響きではモーレツに)僕の物欲をかきたてたものは1つ、いや2つ、あれ?3つ...もっとあるか?まぁ、思い出せばホントに物欲あるわな。

まずは、自転車。これは前述のとおり一つ年上の兄がいるため、お下がりばっかりで本気で泣きわめきねだりまくってチャリを買ってもらいました。いまだに「あの時の和の泣きは凄かった」と強力おかあも言っています。それは3年生の時でした。デパートのカタログで買ったのですが申し込んでからエライことが僕の身に...

話題を中途半端にして、次はガンダムのプラモデル。僕らの世代は何と言ってもこれでしょう!ガンダムを始め、ザク、ドム、ジオングとかありましたよね。なつかしー!なぜだか小学校のまん前にある文房具屋にプラモデルが売ってるんですわ。授業が終わったらまず文房具屋チェック!!その日は稀少なシャア専用赤いゲルググが!今でも赤色は大好きなんですがこいつが僕を呼んでいました!(思い出しても興奮状態!なぜか「!」が多いな今日は)うちの実家は小学校までが遠い上、狭い道にバンバン車が通るので通学路が裏道経由でよけいに時間がかかるのでした。その日は日活?(ていったっけな?ホームルームのこと、違った学活?日活は映画会社やんか!ていうか終わりの会)が早く終わり、店の周りにはライバルが一人もいなかったので急いでこづかいを取りに家路を急ぎました。あと家まで50mというところ、溝蓋になっている鉄の網々の連続したところで思いっきりこけておでこをかち割ってしまいました(T_T)。凄い勢いで走っていたのでこけた瞬間に手がつけなかったのです!そしたらあんた!血がドックどっくドックと出てくる出てくるー。結局親戚に送ってもらい救急病院につれてってもらい8針縫いました。自分が赤いゲルググのように...。かなり血が出てやばかったそうです。おかあは「骨が見えたでー」と言ってました。

何日か自宅静養してましたがその間にチャリが届きました...。乗りたいのにまだ縫って糸も抜いてないので我慢して玄関でスタンドを立てたまま、またがって空漕ぎしてました。ま、見舞いのメロンが食べれてうれしかったけどね。今でも傷は残っています...。

まだつづくよ...。


2003/06/14(土)  さかのぼると...
子供の時よりモノ(この頃はやはりおもちゃ)が欲しくてよく駄々をこねていた記憶が...。親にせがんでも買ってもらえないことがわかるとひたすら伯母さんにせがんでました。ゲッターロボのでかい人形、ミニカーの立体駐車場、仮面ライダーの変身ベルト。デパートの床に寝ころんで「買ってー買ってー」と泣きわめいてました。保育園児のときですわ。

この物欲は誰に似たんやろか...って間違いなくうちのおかあ(母親)です。小学生の時には家の改築で玄関作ったらようけ(たくさん)靴が入るようになってる靴箱ができてたり、いつも冷蔵庫ぎちぎちにモノが詰め込んであったり。
ここでついでに家族のことなども。

うちの実家の構成員は「おとう」「おかあ」「おにい」といまして全員が「キレやすい」のです。僕はこちらに上京してからあまり怒らなくなったほうなんです。

おとうは人当たりがよく、働き者で、体を動かしてないと落ち着かない人です。時々実家の近くにある愛宕山という900m越えの山に予告なしにふらっと登りに行ったりします。しかし突然怒鳴ったりします...。

おかあは僕の性格をもっと強力にした感じ。若いとき、スナックで飲んでてとなりのおっさんとけんかになり「気にいらんのやったらしばいたるから表に出んかい!」と啖呵を切り、履いてたハイヒールでおっさんの頭をしばいたったらしい...若い時ね、念のため。(本人、関係者、親戚筋がこの文を読まないことを祈る)

おにいは頭が良く、普段はめちゃめちゃ愛想がいいがすぐキレる...上司にも「林田突然キレるからこわい」と言われたとか言われないとか...
しかしみんな根には持たずすぐケロっとしている瞬間湯沸かし器のような家族なんです。

おっと、物欲から離れていったわ。
考えるとおとうはそんなにモノは買わないですが、車だけはだまーって買い換えてきます。モデルチェンジの度に...いきなり車のトランクにボウリングの球と靴とスーパーのかごが入っててびびったこともあり。
うーん、血筋だな。つづく...


2003/06/13(金)  怒りの物欲、序章。
まー、第1回目。とばさずボチボチ書いていきます。
この連載タイトルはうちの先生(もちろん雲井雅人氏)が考えはりました。上手いこと言うなーと感心してました。
僕は結構怒っていることが多くよく先生に愚痴ってます。また「モノ」好きでいろんなモノを買ってしまいそれを報告しています。そんな2大特徴を関西弁混じりで綴っていこうと思います。ただ、最初にお断りしておきます。
「わしはもっそじゃまくさがりやし、まめには更新できひんと思いますが気長に待っててなー」
てな感じで。


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