2003/06/30(月)
いろんなお客さん
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知り合いのフルーティストからメールが来ました。この人は、もうじきリサイタルを控えています。 そのメールには次のようなくだりがあります。 これは演奏家なら、リサイタル前に誰しも思うことかもしれません。
【自分が「好きだから」という原点で曲を選び、リサイタルを創っているわけですが、4000円も出して聴きにきてくれるお客さん全部に楽しんでもらえるか・・・(色々な層のひとだからね)】
ホントそうです。 いろんな価値観を持ったお客さんが来て下さっているわけだから。
ここで思い出すのは、いなかの母のことです。僕の実家は小さな雑貨屋を営んでいて、それこそ朝から晩までいろんなお客さんがひっきりなしに来ます。食事なんか落ち着いてとっていられません。「鉛筆一本下さい」とか「画用紙1枚下さい」っていう世界です。僕も子供のころは店番してました。お客さんは、常連さん、愚痴こぼしに来る人、さまざまな問屋さん、長っ尻、病気の人、人生相談、色っぽいお姉さん、コワイ兄さん、時には万引きも。
花札なんかも置いていたので、昔は夜中に目を血走らせた男が戸をドンドン叩いて「花札くれ〜(トランプのときもあった)」と怒鳴り込んでくることがよくありました。賭場が盛り上がって、札が破損するかなんかしたのでしょう。
母はどんなお客さんもうまくさばいて、不快な思いをさせることはなかったように思います。それあってか、近所にスーパーマーケットや郊外型ショッピングセンターができても、何とか今も店を続けています。これは考えてみたらかなり立派なんじゃないかな。母は、店に立ってもう50年近くになります。
話を演奏のことに戻します。 高い入場料取って、もし演奏をお客さんに喜んでもらえなかったら…とか、準備(練習)に失敗して「下手くそ」の烙印を押されたらどうしようという不安から、しばらく演奏会を開くことに消極的だった時期があります。 「ポジティブ・シンキングはただのバカ」と思っていた時期もあって(今でもちょっとそう)、ちょっと引きこもっていました。
今は「バカじゃないポジティブ・シンキング」で行こうと思っているのですが、見る人が見ればただのバカに見えているかもしれない。でもやって行くしかありません。演奏家として、そう長い時間が残されているわけではない。もてる能力を駆使して、自分の思う音楽というものを実現させたい。 トレバー・ワイも言ってるけど「あなたが“メトセラ”と同じくらい長生きしようというのならなら話は別です。彼は969年も生きたのですが…」(トレバー・ワイ フルート教本2 テクニックより)
冒頭のフルーティストの友は、別のメールでこのようにも言っています。 この言葉はいつも心に留めておきたい。 【聴いてくれる人全部に届けようと思うと、私の場合、無理が出るんです。 自分に届くものを創ろうとすると、幸い何人かの人には深く届くみたい・・・。 それを望外のシアワセと思えるかどうか・・・だよね。】
「欲張りすぎるとロクなことはない。商いは誠実が一番」ということかな。
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