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雲井雅人の「小言ばっかり」

( 2003/07 ← 2003/06 )


2003/06/30(月)  いろんなお客さん
知り合いのフルーティストからメールが来ました。この人は、もうじきリサイタルを控えています。
そのメールには次のようなくだりがあります。
これは演奏家なら、リサイタル前に誰しも思うことかもしれません。

【自分が「好きだから」という原点で曲を選び、リサイタルを創っているわけですが、4000円も出して聴きにきてくれるお客さん全部に楽しんでもらえるか・・・(色々な層のひとだからね)】

ホントそうです。
いろんな価値観を持ったお客さんが来て下さっているわけだから。

ここで思い出すのは、いなかの母のことです。僕の実家は小さな雑貨屋を営んでいて、それこそ朝から晩までいろんなお客さんがひっきりなしに来ます。食事なんか落ち着いてとっていられません。「鉛筆一本下さい」とか「画用紙1枚下さい」っていう世界です。僕も子供のころは店番してました。お客さんは、常連さん、愚痴こぼしに来る人、さまざまな問屋さん、長っ尻、病気の人、人生相談、色っぽいお姉さん、コワイ兄さん、時には万引きも。

花札なんかも置いていたので、昔は夜中に目を血走らせた男が戸をドンドン叩いて「花札くれ〜(トランプのときもあった)」と怒鳴り込んでくることがよくありました。賭場が盛り上がって、札が破損するかなんかしたのでしょう。

母はどんなお客さんもうまくさばいて、不快な思いをさせることはなかったように思います。それあってか、近所にスーパーマーケットや郊外型ショッピングセンターができても、何とか今も店を続けています。これは考えてみたらかなり立派なんじゃないかな。母は、店に立ってもう50年近くになります。

話を演奏のことに戻します。
高い入場料取って、もし演奏をお客さんに喜んでもらえなかったら…とか、準備(練習)に失敗して「下手くそ」の烙印を押されたらどうしようという不安から、しばらく演奏会を開くことに消極的だった時期があります。
「ポジティブ・シンキングはただのバカ」と思っていた時期もあって(今でもちょっとそう)、ちょっと引きこもっていました。

今は「バカじゃないポジティブ・シンキング」で行こうと思っているのですが、見る人が見ればただのバカに見えているかもしれない。でもやって行くしかありません。演奏家として、そう長い時間が残されているわけではない。もてる能力を駆使して、自分の思う音楽というものを実現させたい。
トレバー・ワイも言ってるけど「あなたが“メトセラ”と同じくらい長生きしようというのならなら話は別です。彼は969年も生きたのですが…」(トレバー・ワイ フルート教本2 テクニックより)

冒頭のフルーティストの友は、別のメールでこのようにも言っています。
この言葉はいつも心に留めておきたい。

【聴いてくれる人全部に届けようと思うと、私の場合、無理が出るんです。
自分に届くものを創ろうとすると、幸い何人かの人には深く届くみたい・・・。
それを望外のシアワセと思えるかどうか・・・だよね。】


「欲張りすぎるとロクなことはない。商いは誠実が一番」ということかな。


2003/06/26(木)  リサイタルは明日
  「本番」


本番には
1年前があり
1ヶ月前があり
1週間前があり、1日前があり
1時間前、10分前、1分前、1秒前がある。

今、本番のどれくらい前ですか?

本番には
目に見えるのと、見えないのがある。
予定通りなのと、不意にやってくるのがある。
経験済みなのと、まるっきり初めてなのがある。
隆々と待ち構えているのもあれば、
終わってから、あれがそうだったんだと気付くのもある。

これから迎えるのは、どんなのですか?

本番には
また巡ってくるのもあれば
もう、それっきりで、おしまい…っていうのもある。

ああ、そうだった。忘れるところだった。
どんな本番も、その夜が明ければまた朝が来て
その先にも日々があり、暮らしは延々と続いて行くのだった。

次の本番まで、あとどれくらいですか?


2003/06/22(日)  「1年さっくす組」最終回
いつも目立っている“高いC♯君”にも、実は悩みがありました。
「僕がみんなから嫌われているのは知っているよ。きれいなハーモニーを作りたくても、どうしても僕だけ音質と音程が飛び出しちゃうんだ。分かってるんだけどどうしようもないんだ。本当はみんなともっと仲良くしたいんだ」。彼は目に涙をいっぱいためて言いました。“上ずり派”のみんなもコックリとうなずきました。

そのうち誰からともなく「じゃ、いつも黙ってイジメに耐えている“真ん中C♯君”に意見を聞いてみよう」ということになりました。

“真ん中C♯君”は静かに話し始めました。その声はとても大人っぽくて温かでした。いつの間にか彼は、葛藤の中から何かを見つけていたようでした。

「無理に高くしたり明るくしたりしなければ、僕は本当はこんな声なんだよ。僕がこんな風に話せば、僕の下に続く仲間たちも落ち着いてしゃべることができると思うんだけど、どうかな?」。“真ん中のド”以下の一同は、深く静かにうなずきました。
「オクターブキーを押さない僕たちがまず心地よく歌えるようにして、その上にオクターブ上のみんなが乗っかればいいんじゃないかと思うんだけど」。

“真ん中C♯君”は続けました。「僕たちの落ち着いた音質を、高音域のみんなに真似てもらい、高音域の豊かな響きを低音域も見習うようにしよう」

「そうだそうだ!」とみんなが言いました。
それから「1年さっくす組」は素晴らしいクラスになったとさ。
めでたしめでたし。おしまい。
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(あー、つかれた。僕はこういう文章は向いていないと言うことが分かりました。「共依存」や「強迫神経症」とかを援用して物語をふくらまそうと思ったけど、とても無理でした)


2003/06/17(火)  「1年さっくす組」その1
むかしむかしあるところに、32名の生徒たちからなるクラス「1年さっくす組」がありました。この学校では、「クラス対抗大声コンクール」とか、「早歌いコンクール」とかがよく行われていて、「1年さっくす組」はいつもダントツの優勝をさらっていたのでした。
ほかの「くらりねっと組」、「ほるん組」、「おーぼえ組」などは、なかなか大きな声も出せず、速く歌うこともできないので悔しい思いをしていました。

でもしばらくすると、「1年さっくす組」のクラス内に不協和音が生じるようになりました。“真ん中ド♯君”がイジメを受けるようになったのです。
その首謀者は“高いド♯”および“高いシ”らでした。自分たちがデカイ音で良く鳴るのを良いことに、“真ん中ド♯君”に対し「お前はあまりにも鳴らない。お前は音程が低い。お前のせいでクラス全体が悪く言われるんだよ」と言って嫌がらせをするのでした。

“真ん中ド♯君”は仕方なく、全然自分らしくない無理矢理な笑顔でその場をなんとか切り抜けていました。でもその笑顔は見るからに不自然で、とても気の毒でした。
その有り様を“真ん中ド”以下“低いシ♭”までの14名の生徒たちは、見て見ぬ振りをしていました。でも、彼らの心の中は“高いド♯”および“高いシ”らに対するねたみと、ふがいない自分に対するあきらめでいっぱいなのでした。特に“低いレ”以下5名は「自分たちはどうせダメだから…」という思いに凝り固まっているのでした。

そのうちクラスの中はますますひどい混乱におちいり、たくさんの勝手なことを主張するグループに分裂してしまいました。
まず、“オクターブキイ押してる班”と“オクターブキイ離してる班”が反目しあって、連絡がうまくいかなくなりました。
「押してる班」の中でも、“上ずり派”、“穏健派”、“ぶら下がり派”などに分かれ、それぞれが勝手な主張をするので、もう「1年さっくす組」はむちゃくちゃになってしまいました。

一つの曲を協力して仕上げようにも、オクターブさえ合わない、レガートがつながらない、響かない、アタックが汚いなどのトラブルが続出で、ちーっとも形にならないのでした。

担任の先生も何とかしようとするのですが、もう先生も何がなんだか分からなくなっているのでした。そのあいだに「くらりねっと組」、「ほるん組」、「おーぼえ組」は、クラスのみんなで我慢強くよく話し合い、一致協力して美しい響きを獲得しつつあるのでした。さてどうする「1年さっくす組」。
(つづく、…かどうか分からない)


2003/06/16(月)  入梅にちなんで
「歳時記」

花冷え、風光る、おぼろ月、春眠。

以前は歳時記なんて興味もなかったが
人々はこうやっておりおりの現象に
名前を付けてきたのか。季語は十万とも。

入梅、朝焼け、油照り、夏木立。

自分に残された日々が、そう多くないことに気付くと
人はこうして、生きてきた証をかき集めたくなる。
この風にこう名付け、この光にこう呼びかける。

野分、天高し、行く秋、銀杏散る。

生きている今のあいだだけ
目に映るもの、肌に触れてくるもの
心に浮かび上がってくる思いに名付けることで蒐集する
感覚のコレクション、歳時記。

底冷え、雪踏み、山眠る、春近し。


2003/06/15(日)  故郷でかいた冷や汗
 富山の高校を卒業して浪人するため上京。その後、東京都に住むこと16年、埼玉県に越して来て10年。当然その間、地元で選挙に行き税金も納めたりはしているが、東京都民であるとか、埼玉県民であるなどという意識はさらさら生まれたことがない。自分の根っこは富山にあるのだと思っている。

 「将来は詩人か音楽家になりたいなー」などと、やくたいもないことを考えながら高校生の僕がうろついていた、繁華街の本屋レコード屋。何かもっといい本はないか、もっといい音楽はないか。熱に浮かされたような日々でありました。きっと今も、僕みたいな青臭いのが、非現実的なことを夢想しながら通りを徘徊しているんだろうな。

 熱に浮かされた状態はその後も続き、高校卒業後から習い始めたサックスで(高校卒業後とは今から考えればなんと非常識!)、音大の入学試験やいくつかのコンクールをくぐり抜け、念願かなって僕は演奏家となった。クラシック音楽界、その中でも小さな小さなサックスの世界。そこで得たいくばくかの評価をひっさげて、昭和59年に生まれ故郷の町で初めてのリサイタルを開いた。

 その演奏会のときにかいた冷や汗を、今でも忘れない。幼い頃から顔見知りの近所のおっちゃんおばちゃんたちの前で、オレはいったい何をやっているんだ?という「照れ」が突如として吹き出してきたのだった。あれは、せっかく身につけたクラシックのお面が剥がされかけた危機だった。いや、そうではなくて、「気取って」音楽をやっている自分にその瞬間気づかされたのかも。

今は亡き祖母が演奏会の後に漏らした感想、
「楽器がなんやらガチャガチャいうとったぜ」
心配してくれていたのであろう。
以来、ふるさとで演奏するときは、心して臨んでいる。


2003/06/12(木)  おのれの演奏を武者小路実篤風に振り返る
6/27リサイタルでやるスティラーの「チェンバー・シンフォニー」はこんな感じの箇所が多々ある。


「おのれの演奏を振り返る」
                 雲井雅人

人はみなどんどん上手くなりたいと思っている。そして、上手くなりたいと思いながら練習しているが、練習して少しでも前より上手く演奏したいと思っている。みな前よりは益々上手く吹きたいと願いながら生きている。

自分はいくらか前より少しは上手くなったのか。上手くなったところもあれば、変わらないところもあるように思う気がする。もう少し上手くなりたいと思ってはいるが、なかなか変わらないものでもあり、変わっていないつもりで、僕たちは上手くなっているところもあるかもしれない。自分では本当に分からないこともあるのも事実らしい。

自分は益々進歩したい。自分では進歩したつもりでも、人から見たら変わっていないかもしれない。みな少しずつ進歩を願う。自分もその進歩の中でいよいよの進歩を願う。進歩して上手くなりたいと願う。上手さが深まることを願う。そしてだんだん良い演奏をしたい。そして役に立つ人間になりたい。

あらゆる意味で益々進歩したいと願っているが、人間はこの上なく上手く吹きたい。そしてだんだんに上手くなり、いつまでも僕は良い演奏もして役に立ちたい。人は実に上手くなる。良いものが生まれてくると思う。そこが面白い。

良い演奏がしたい。喜んで進歩していきたい。そして僕は人間が皆と仲良く生ることが面白い。それがまた進歩して、まだまだ生きていきたい。それは実に良いことだ。自分も進歩するようだんだん仲良く生きていきたい。

益々上手く。
人間万歳!


2003/06/11(水)  書き始め
「小言ばっかり」というタイトルでしばらく何か書いてみようと思う。
以前「音域ジャーナル」という掲示板で発表した文章と重複することもあるかもしれないが、とりあえず始めてみることにしよう。



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