2003/07/27(日)
5分君
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ある大学で、年度始めのオリエンテーションをおこなったときのこと。 内容は、ブレスについての概説、「音作り」の方法、ピアノを使って倍音を聞く体験、二本のサックスでの差音の体験などなど。1時間あまりのオリエンテーションは、なにごともなく終了した。
僕は、トレバー・ワイのフルート教本第1巻「音作り」を、音を練るためのメソードとして使用している。マルセル・モイーズの「ソノリテについて」に新しい照明を当てたとも言える、優れた教本だ。僕がこの第1巻から得た恩恵は、計り知れないほどである。 このときは、例の「シーラー、シーラー、ラーソー、ラーソー」をやるとき留意すべきポイントを伝えた。多分僕は、「これをやると自分の音に対しての注意力が高まって、音が良くなるんだよ」と言ったのだと思う。
オリエンテーションが終了して5分ほどたって、レッスン室のドアをノックするものがいる。その年の新入生の男子学生だった。
「あのー、質問があるんですけど」 「おっ、なにかなー(さっそく質問しに来てくれて嬉しいなー)」 「さっきの『シーラー、シーラー』ってのをやっても、全然音が良くならないんですけど、どうしたらいいんでしょうか」 「・・・。そ、そんなにすぐには変わらないんだよ。何ヶ月もかかるから根気よくやっていこう」 「あっ、そうなんですか」
僕が大好きなアメリカの風刺漫画家に、B. KLIBAN という人がいる。猫のイラストが大人気で、よくTシャツになっているのを見かける。この人の本領は、風刺の効いた一コマ漫画で、僕はアメリカ留学時代、狂気と皮肉とポエジーにあふれたこの人の画集を眺めることで、どれほどストレスから救われたか分からない。
その中の1冊「TWO GUYS FOOLING AROUND WITH THE MOON AND OTHER DRAWINGS」の1頁に、老僧が若い修行僧たちを前に、寺の一室でこのような説教をする場面が描かれている。老僧は言う。
THE ROAD TO ENLIGHTMENT IS LONG AND DIFFICULT, WHICH IS WHY I ASKED YOU TO BRING SANDWICHES AND A CHANGE OF CLOTHING.(悟りへの道のりは長く困難なのじゃ。そういうわけで諸君にはサンドイッチと着替えを持って来るよう申し付けたのじゃ)
自分が留学先で苦しみながら試行錯誤していたときであっただけに、この場面は何度見ても笑えた。いまだにときどき本棚から取り出しては眺め、ニヤニヤしている。 先の男子学生と会話しながら、この老僧の言葉を思い出して可笑しくなってしまった。そして、自分の学生時代の記憶が蘇った。僕もしばしば似たような質問を発したことがあったのだった。
大学時代「ソロ・室内楽オーディション」というものを受けたとき、本番直前、僕は審査員の教授の一人に「どのような演奏をしたらオーディションに受かるのでしょうか?」と真顔で訊ねたものだ。教授はあきれた顔で僕をまじまじと見つめて、「君ねぇー」と言ったっきり何も言わなかった。オーディションは落ちました。 他にも色々あるけど、恥ずかしくて書けない。
そのときはこういうバカなことを言っても全然恥ずかしくなかったんだな。だから、5分間「音作り」をやっただけで、「音が良くならないんですけど」と質問にやってきた彼のことを、僕は笑う気はない。「いいぞ、もっと来い!」と思う。その「稚気」の部分に可能性を感じるのだ。もちろんずっと「稚気」ばっかりじゃいけないけどね。
僕は心の中でひそかに、彼のことを「5分君」と呼んでいる。今活躍している演奏家だって、多くは学生時代に「5分君」だったことがあるはずだ。いい意味での「無恥」な部分を全開にして、勉強に励むのがいいと思う。妙に分かった風な顔をしておさまり返っている必要などない。頑張れ「5分君」、期待してるよ!
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