2003/08/21(木)
ピアニッシモがらみの雑記
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●ヘムケのもとに留学して得られた成果の中で、僕にとってとても重要なことの一つに「ピアニッシモ」がある。 ノースウエスタンでの最初のレッスンでは、「フェルリングの48の練習曲」から第1番を見てもらった。生まれて初めての異国の地で、長いあいだ憧れてきた師に聞いてもらえるのだ。喜び、緊張、ある程度の自負、大きな不安などが心の中で渦巻いていた。 多分僕は、やや得意げな気分で一曲を吹き通したんだと思う。しかし、そのあとに待っていたのは「出だしの音が大きすぎる」というヘムケの言葉だった。何度吹き直しても「まだ大きすぎる。スーパー・ソフトで」の繰り返し。こんなに小さく吹いたら聞こえないんじゃないかというぐらいのピアニッシモで吹いたら、ようやくオーケーがでた。
●今思えば、それまでの僕のピアニッシモなんて、ヘムケから見たらメゾ・フォルテぐらいだったんじゃないかな。ヘムケは音の出だしだけではなく、終わり方にもとてもうるさかった。「伴奏ピアノの減衰と一体になりなさい。最後には自分のサックスの音がピアノの弦の一本に同化するつもりで」と言われて、一生懸命小さく柔らかく美しく「スーパー・ソフト」で吹く練習をした。そうするとヘムケがとても喜んでくれて、僕も嬉しかった。
●僕の留学中、ヘムケは何度かコンサートに出演した。数回の現代音楽のコンサート(指揮と演奏)、二度のオーケストラ伴奏のコンチェルト(グラズノフとイベール)、一度のリサイタル。特にそのリサイタルは素晴らしかった。
ヴァンサン・ダンディ:コラール変奏曲 フローランシュミット:伝説 ポール・ヒンデミット:三重奏曲 グスタフ・マーラー/ヘムケ:「リュッケルトの詩による歌曲集」から数曲 アーノルド・フランケッティ:ソナタ ジャン・バック:マイ・ヴェリー・ファースト・ソロ (アンコール)ドゥメルスマン/ヘムケ:ヴェニスの謝肉祭による変奏曲
●実は、このリサイタルの途中で停電が起こり、ホール内が真っ暗になってしまうという事故が起きた。そこで、スタッフが大急ぎで電気コードを隣の建物から引っぱってきて、電気スタンドをソリストとピアニストの傍らに立ててその場をしのいだのだ。演奏者のいる場所だけがほの明るく、客席は全くの闇の中。その情景は、期せずして非常にロマンティックなものとなった。そんな中で聴いたシュミットは、筆舌に尽くしがたい深い印象を僕に残した。まるで闇の中に音の余韻が消えていくような感じは、曲本来の魅力をさらに増すこととなった。その後停電が回復したとき、ヘムケはステージ上で叫んでいたな。「Oh、暗い方が良かったのに!」と。
●「こんなに小さく吹いたら聞こえないんじゃないか?」という心配は、室内楽やソロに限って言えば、ほとんどないのではなかろうか。オーケストラの中で吹く場合は、ピアノと書いてあっても大きめに吹く場合もあるし、フォルテと書いてあっても控えめに吹く場合もよくある。 ピアニッシモは表現上の大きな武器だ。見事なピアニッシモは、聴き手の神経を鋭敏にし、眠っていた感覚を揺り起こす働きがあるように思う。連続するフォルテは、逆に神経をタフにさせ、感覚を痺れさせるような気がする。しばしば、それが快感でもあるが。
●サックスの低音域でのピアニッシモはほぼ不可能だと、僕は長いあいだ諦めていた。クラリネットのようにはとうてい吹けないと。デザンクロの「プレリュード、カデンツとフィナーレ」の冒頭の音、フーサの「エレジーとロンド」のエレジー最後の音など、楽譜の指定どおり吹いている奏者はごく少ない。僕も、楽譜どおり吹けない一人だった。 しかし、数年前にマズランカの「ソナタ」に出会い、この曲に入れ込んで吹いているうちに、どうしても低音域でのピアニッシモが必要なことを痛感し始めた。そして、逆転の発想というか、思わぬやり方でなんとかそれを実現できるようになった。「作品に対する愛」などと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、それが実感だ。諦めなくて良かったと思う。40歳を過ぎて身につけた新しい技術は、表現の幅をまた広げてくれたと思っている。
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