[トップページ] [他の月を見る]


雲井雅人の「小言ばっかり」

( 2006/07 ← 2006/06 → 2006/05 )


2006/06/21(水)  プログラム最終決定
「雲井雅人サックス四重奏団第5回定期演奏会」のプログラムが、最終決定しました。

曲目
●ジャンジャン:四重奏曲
●櫛田【月失】之扶:万葉
●アプシル:ルーマニア民謡の主題による組曲
************
●織田英子:サクソフォーン四重奏のための「遠い日」(委嘱新作)
●秋透:3つの富山県民謡
●アルベニス:カディス コルドバ
●ピエルネ:民謡風ロンドによる序奏と変奏


2006年7月5日(水)19:00開演
ルーテル市谷センター
全席自由 4000円

2006年7月6日(木)19:00開演
国分寺いずみホール
全席自由 4000円

ご予約・お問い合わせ:レックス
0422-22-1980
http://www.concertrex.jp/




2006/06/17(土)  万葉
こんど雲カル定期でやる「万葉」の和歌の、雲井的解釈です。




  明日香京から藤原京へ遷都したときに、
  志貴皇子が詠んだ歌

采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く

  解釈:「首都が移ってしまったあとの街には、
      おしゃれなOLたちもいなくなり、
      空しい風が吹いているなあ」




  ある春の夕べに、庭の桃李の花を眺めながら
  大伴家持が詠んだ歌

春の園 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ乙女

  解釈:「今をさかりの桃の花の下に、
      今をさかりのアイドル的美少女が
      すっと立っている、
      という幻視」




  酒を讚えて、大伴旅人が詠んだ歌

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ

  解釈:「俺は今この時が楽しければいいのだ!
      たとえ来世で虫や鳥になってしまおうとも。
      ウィー、ヒック」




  奥さんが亡くなって、柿本人麻呂が泣きながら詠んだ歌

去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離る

  解釈:「妻と一緒に見た月よ、
      今年も同じように照らしているが、
      彼女はもういない。
      死者との年は離れるばかり」




  駿河采女(駿河出身の女性)が詠んだ歌

沫雪か はだれに降ると 見るまでに 流らえ散るは 何の花ぞも

  解釈:「あわ雪がうっすら降るその中を、
      何かの花びらもはらはらと散っている。
      季節の変わり目のおもしろさよ」


2006/06/16(金)  10万!
トップページのカウンターを見てみたら、知らぬ間に10万を越えていました。
見てくださっている方々に、心から感謝します。
ありがとうございます!

最近ちょっと書く方がパワーダウン気味なんですが、これからもよろしくお願いします。


2006/06/15(木)  岩城さん
岩城宏之さんがお亡くなりになった。
僕は何度か仕事をご一緒させていただいたことがある。
「展覧会の絵」のソロでかなり絞られたことや、「ミュージック・トゥデイ」でのルチアーノ・ベリオ「カーブで見出すポイント」の仕事が印象に残っている。

押しも押されもせぬポジションにいらっしゃる方なのに、指揮をするときは、良い意味で常に「必死さ」を漂わせている人だった。
どこかの席におさまり返るというようなことのない人だった。

僕が音楽の道をこころざすずっと以前から、テレビなどで僕は岩城さんが活躍されているのを見ていたし、数多い著作物のファンでもあった。
サックス吹きになったおかげで、そんな人とリアルタイムでお会いできるということが、なんとなく嬉しかった。

長いあいだ、何十年ものあいだ、岩城さんを音楽界の先達、また大知識人として見続けてきた。

ここで話は自分のことになってしまうのだが、僕も20数年ほどもサックス吹きをやり音大の教師なんぞにもなり、年齢的には「中堅どころ」の一角を占めるようになった。
どちらかと言えば、「先達」に片足を突っ込んじゃってるわけだ。
自然と、「雲井というのは、音楽的にはだいたいこのあたりのヤツ」という評価も定まってきたりする。
これがなんともイヤな感じなんだな。
「自分はまだまだこれから」という気でいるのに、まわりからそれとなく規定されるような感じが(とは言え、現実問題としてこれから自分がちょーブレイクすることもないだろうぐらいのことはうすうす認めてますよ)。

岩城さんの音楽活動や、指揮台での振る舞い、お書きになった文章などを見ていると、回りからのそういう視線を跳ねのけたい願望があったのではないかと思った。
あの「必死さ」は、そこから生まれていたのかもしれないと思った。
岩城さん、すごくがんばった人生だと思う。
どうぞ安らかに。


2006/06/12(月)  チケット
織田英子さんに委嘱していた新作も出来上がってきて、プログラムが揃いました。
織田さんの作品は、「和」の素材を使ったとても楽しい作品です!
カルテットの練習も熱を帯びてまいりました。

チケットは、下記のマネジメント・レックスのチケット販売ページからお申し込みいただけますので、ご利用ください。
ご来場お待ちしています!

http://www.concertrex.jp/


2006/06/01(木)  仮説ですが
サックスとピアノのための「シシリエンヌ」や「エスカルデュナック・ソナタ」で知られる作曲家ピエール・ランティエに、「アンダンテとスケルツェット」というサックス四重奏の曲があります。
非常に美しいアンダンテと、快活なスケルツェットからなる作品です。
特にアンダンテの美しさは、他をもって代えがたいこの作曲家特有のものがある。
それに比べてスケルツェットは、付点四分音符=176というテンポが表示してあり、忙しいことこの上ない。
音を並べるだけで精一杯のテンポである(途中にはアッチェルランドもある)。
そのためか、この作品はいまひとつ人気がない。
これが長いあいだの疑問であり、不満でもあった。

冷静に考えて、この「付点四分音符=176」というのは、なにかの間違いであろうかと思われる。
八分の六拍子で、1小節が0.7秒しかかからないんてことがあるはずがない。
真にこのテンポを求めるならば、手練の作曲家は異なる拍子を設定するはずです。
また、「スケルツェット」という愛らしい呼称にも、このテンポはそぐわない。
176なんて、プレスッティシモ以外のなにものでもない。

僕が推理するに、有り得べきテンポは、176ではなくて116であろうと。
7と1は、誤記されやすい。
えてしてフランスの出版社は、出版点数が多い代わりに、ミスプリントの修正には無関心である。
指もまわりソルフェージュも完璧な現代のサックス奏者たちは、176のテンポで恬として吹ききって、本質を省みることがない。

でも、それじゃやっぱりおかしいだろう!

実際に116でやってみると、各フレーズの味わいや楽器間の受け渡しなど、音楽的に余裕を持って表現できることが痛感された。
僕としては、あらためてこの曲に出会った喜びを感じた。
これからは、だれが何と言おうと、テンポ116で演奏すると決意した次第。


( 2006/07 ← 2006/06 → 2006/05 )


[ 管理者:管理者 ]


- CGI-Island -

Thanks to CGI-StaTion & 手作りCandy