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雲井雅人の「小言ばっかり」

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2004/02/28(土)  ホールの響き
先日、浜離宮朝日ホールで、打ち合わせがてらステージでちょっと音を出して来ました。
非常に美しい澄んだ響きの演奏会場です。今はこの響きを念頭において、リハを重ねています。

「マウンテン・ロード」では、作曲者マズランカからの勧めもあり、楽章によってはステージ上で奏者が位置を変えて演奏します。
やや異例のことかもしれませんが、確かに演奏効果は高く、お客さんには今までに聴いたことのないサウンドを経験していただけるかと自負しています。

これはいつものことですが、本番に向け練習を重ねるにしたがって、強固になっていく部分もあれば、自分が「コワレモノ注意」みたいになっていく感覚も大きくなってきます。

ホールの響きの美しさは、奏者の大きな味方です。
それを生かした演奏をしたいと思っています。


2004/02/25(水)  複雑と純粋の両極
しらふのときに、
「人は複雑と純粋の両極を同時に求める」
なんて文章を見ても、「けっ、小賢しいことを…」なんていう気持ちしか起こらないかもしれぬが、酔った頭でこれを見ると、人生の大事なことがこの言葉に要約されているような気になってしまうのである。

ひいきの飲み屋が名古屋にあって、その入り口にこの文章がさりげなく掲げてある。店に寄るたびこれを見て、「うーむ」と唸ってしまう。
その店で、たとえば’フキの煮物’を食してみると、「複雑と純粋の両極」が舌で分かるような気になる。安上がりだね。

音の中にたくさんのことを盛り込みたいと欲張った瞬間から、演奏は俗なものに成り下がってしまう。
かといって、やたらに高踏的であれば良いというものでもない。
ミスはしたくない、かといって、事務的な演奏に陥りたくはない。

酔うと、いろんなことを自分の身に引き寄せて考える癖がある。
酔っ払い同士が、さも大発見をしたかのように感動していたりする。
醒めるとたいがい忘れてしまうような他愛もないことが多いのだが、どんなものでも感動は感動だ。

ベロベロになる寸前で切り上げて店を出るとき、「人は複雑と純粋の両極を同時に求める」なんて文章を見ると、その意味が心にジワーッとしみ込んでくるような気がするのだ。


2004/02/23(月)  ペット2題
リンクさせていただいている「渡部哲哉のホームページ」の中の「おまけ」コーナーに、なんとも言えずいい感じのものがありました。
皆さまもぜひご覧ください。
http://homepage.mac.com/tetsuyanmusic.net/Top.html


僕はカメを飼っています。
甲長20センチの5歳のミシシッピアカミミガメ(通称ミドリガメ)です。10円玉ぐらいの大きさの時から育てました。
何も芸はできません。ただかわいいだけ。
ところが世の中には芸をするカメもいるのです。驚きました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~seguchi/kamenoheya1.htm

そのうち、うちのカメもご紹介したいです。
そのためにはデジタルカメラを買わなくてはいけないな。


2004/02/19(木)  「春一番」
強風の野郎ども、
恫喝して行きやがった。

一団去ってまた一団…、
傍若無人な荒くれどもめ。

さっきさんざん吹き散らして去っていったご一統様はどこへ行った。
そこいらの山の木々を、片っ端からザワザワ揺り起こしてんのか。

あんまり好き放題すんなよ。

風の遠近法。


2004/02/12(木)  東回りの風
  遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
  遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそ動がるれ。

織田英子作曲の「東回りの風」を演奏しながら、何となくこの「梁塵秘抄」の中の歌を思い出してしまいます。

後の世の日本人に「西洋音楽」などと呼ばれようとは、ゆめゆめ思ってもいなかったであろう、この四つのヨーロッパ生まれの小曲たち。生まれた場所も時も少しずつ異なりますが、複雑華麗な修辞を身にまとう以前の、音楽本来の喜びを我々に感じさせてくれます。

だから、サックス吹きも楽器にこびりついた先入観をこそげ落としてからでないと、曲たちに遊んでもらえないのです。曲を征服するのではなく、フレンドリーな関係の中で、曲の良さが自然にこぼれ落ちるような演奏をしたいと願うのですが、なかなかそれは難しいことだと感じています。

音楽が「教養」でもなく「仕事」でもない、「遊び」の延長線上にあるものだということを、ステージ上で再現するのが理想なのですが…。


2004/02/11(水)  「薄利多売」の楽器
クラリネットとサックスの演奏を続けて聴くということが最近よくあって、ふと気づいたことがあった。
サックスは「薄利多売」の楽器だなーって。

クラは、ばかでかい音で吹くということが楽器の構造上できにくいので、大音量路線からは、アマチュアもしくは受験生時代に撤退してしまうのかもしれない。教師も大音量などというものはけっして推奨しないだろうし。

彼らは専門の勉強をするようになっても、美しい響きの追及を徹底させられるのであろう。その結果、フォルティッシモでもピアニッシモでもよく響く音が獲得される。もちろん全員が達成できるのではないだろうが、そういう路線があるのではないかということだ。

よく響くフォルティッシモと、力まかせの大音量はもちろんまったく別物だ。よく響くフォルティッシモは、その音の中に聴き手が身をゆだねられる。力まかせの大音量からは逃げ出したくなる。

大音量で演奏する快感というものが存在していることは確かだ。しかし、よほど効果的に用いないと反発を食らう。端的に言えば、スタイルの把握ということなのだが。

「オーガニック」とか「手作り」の食品が注目されていることと、「ピリオド楽器(いわゆる古楽器)」での演奏が広まっている現象は、どこかで通底する部分があるように思う。サックスという楽器は、その流れからは少し遠い地点にいるようだ。

便利な「薄利多売」の店が無くなるわけはない。でも、売るほうとしては、なるべく良いものを売っていきたい。だから、いつも楽器の枠を越えた視点・価値観を見失いたくないと願っている。「安かろう、悪かろう」とは思われたくないから。


2004/02/08(日)  メメント・モリ
「トニーへの歌」は、作曲者ナイマンが長年の親友トニー・シモンズの死を悼んで作曲しました。第1楽章では、チャイルディッシュと言っていいような混乱や怒りが、直截なリズムと歌で表現されます。第2楽章では、幸福な時が突然終わりを迎えるかのように、豊かな旋律が断ち切られます。第3楽章の穏やかな旋律の中には、この苦しみを受け入れようとする気持ちがほの見えます。第4楽章では、たゆたう時に身を任せるような慰安に満ちた旋律が続きます。

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間−死とその過程について」という著作では、死とその過程に対するさまざまな姿勢が論じられています。そこでは、末期ガン患者が次第に自らの死を受容していく過程を、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の5段階の心の動きで説明しようとしています。
この作品は、その過程を4本のサックスというメディアで表現しようとしたものであるように、私には思われてなりません。

ロスは別の著作で「死、それは成長の最終段階である」という主張もしています。このことは「マウンテン・ロード」の作曲者デヴィッド・マズランカが自作について述べている以下のような文章とも重なるように思われます。

 〜この作品のメイン・コラール「人はみな死すべきもの」のタイトルの中には、華やかさと喜びに溢れたこの音楽に現れるパラドックス(逆説)を見いだすことができます。そして、第2のコラール「われは何処にか逃れ行くべき」で、さらにそれが強調されています。前者のタイトルは、死が避けられないものであることを示しているのであり、決して陰鬱な意味でも破滅的な意味でもありません。死とは、終焉というより、むしろ変化なのです。ある考え方・感覚によれば、成長の過程とは常に、“死”に向かうことであり、別の見方では、始まりということです。行き着くところ、肉体の死という現実は存在します。そのことは、この世のすべて形あるものへの私達の愛着を浮かび上がらせます。それは私達のいかなる経験をも限りなくいとおしく、限りなく哀しいものにします。そしてそれはまた、我々の知り得るあらゆる形あるものからの必然的な解放と、次なる世界への移行を示唆するのです。〜


2004/02/05(木)  イタリア協奏曲
有名なオーボエ協奏曲を残したマルチェッロやチマローザといったイタリア・バロックの作曲家たちの作品にたいして、我々はたいそう大らかな気持ちで接しているように感じます。同じバロック期の作曲家なのに、バッハに対する態度とはえらく違うもんだ!と思うのは私だけではないでしょう。一般的に「バッハはこうあるべきだ」というセリフはあっても、マルチェッロをはじめとするイタリア諸作品の解釈に関しては比較的カジュアルな態度をとることが多いようです。
生前ドイツ国外に出たことのなかったバッハは、さまざまな外国人作曲家の協奏曲をチェンバロ用に編曲することで、各国の音楽スタイルを自分のものにしました。この「イタリア協奏曲」はその素晴らしい成果であると言えるでしょう。演奏者は、書かれたその楽譜を通してイタリアの精神に近づくことができればと願いつつ演奏するわけです。第2楽章アンダンテの旋律の中に、マルチェッロやチマローザが透けて見える…ような気がします。


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