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雲井雅人の「小言ばっかり」

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2005/02/24(木)  続リコール問題
> 以前信じ込んでいたことが、あまり宜しくないどころか、間違っていたとさえ感じることもある。アンブシュアのこと、タンギングのこと、練習方法のことなど。

と先日書いた。
なんのことかと言うと、一つは「前歯」について。
僕が学生のころ、来日したデファイエがマスタークラスで、「上の前歯はガッチリとマウスピースに固定する」と強調していたので、長年それを信じてやってきた。
やりすぎなぐらいやってきた(神様が言うことだからね)。
しかし数年前から、必ずしも自分には合っていないような気がしてきたので、それをやめている。
ときには、上の歯は単にマウスピースの背に軽く触れているだけか、ほとんど触れていないときもあるほどだ。
音域や音色によっては、新しい吹き心地で面白い。
状況によるのだ。

また一つは、留学中ヘムケにさんざん「タング・ダウンしなさい」と言われて、プロになっても長年それに従っていた。
それによって自分が大きく変身することができたという、僕にとってはとても重要な経験があるからだ。
しかしそれも、たくさんある舌のポジションの一つに過ぎないということに、つい最近気付いて、近ごろではいろいろに使い分けをしている。
ときには、息が硬口蓋(口の天井)の狭い通り道をこするように流れている状況さえある。
今まで出せなかった音色が実現しそうで楽しい。
これも状況によるのだ。

ヘムケに教わったフラジオのG#(X+Ta)の指づかいがあるが、今まで僕にはほとんど実用にならなかった。
ところが、タング・ダウンをやめてみると、楽に出るようになったではないか!
してみると、このあたりがヘムケのフラジオの時の舌のポジションなのか?
面白いなー。

タンギングは管楽器を吹くテクニックの中でももっとも重要なものの一つだが、僕はもしかしたら、ほぼ中学生のときにできるようになったレベルのまま、今日まで何とかしのいできたのかもしれない。
どうやら、タンギングをするとき、舌はリード及びマウスピースの先端や巻き込んだ下唇(ときには下の歯茎の裏)などに触れているだけではなく、硬口蓋の一部にも触れているということに気付いたのは、つい最近のことだった。
これに気付いてからは、タンギングの種類が増えたような感じで面白い。

またもう一つは、十数年前に僕が書いた文章の中にある。
「アナリーゼだけできていても、音がしょぼかったらどうしようもない」などと言い切っている。
今もこれが間違っているとは思っていないが、どうもこの言説の中には、自分がアナリーゼを不得手としていることを、見て見ぬふりをしたいという気持ちが隠されているようだ。
その「ツケ」を今払わされているのだなぁ。

そういえば、デファイエは前述のマスタークラスで、しきりと「アポジャトゥーラ(倚音)」のことを言っていた記憶がある。
受講者が吹いていた曲は、ガロワ=モンブランの「6つの音楽的な練習曲」の第1楽章だった。
僕はそのときは、なんのことやらさっぱり分からなかったが、今ではアポジャトゥーラを感じることによって旋律が歌えるのだ。

そのときの僕には、単純な「上の前歯はガッチリと」ということしか受容できなくて、より大切な「アポジャトゥーラ」のことは、馬耳東風だったのだろう。
でも、今こうしてデファイエが二十数年前に言ったアポジャトゥーラのことを覚えているのはなぜかな。
不思議なものだ。


2005/02/18(金)  対談
ジャズ・サックス奏者の近藤和彦氏と、「ザ・サックス」という雑誌のための対談をした。
これが非常に盛り上がって楽しい対談だった。

詳しい内容はここでは言えないが、音づくりというか練習方法のようなことについて話し合った。
話はあちこちに飛んで、興味は尽きなかった。
ジャズの人と話をすると、いつも得るものは大きい。

昔から僕は、ジャズのものすごくカッコいいアドリブのフレーズなんかを聴くと、劣等感のようなものを感じることがよくあった。
「作曲家の書いた楽譜を見て、こつこつ練習して、本番」というのが、僕らクラシック音楽家の一般的な姿だろうと思う。
同じ譜面を何百回さらっても、必ずしも納得のいく演奏がいつもできるとは限らない。
それに比べてジャズの人はすごいなーと思う。

現在、イベールのコンチェルティーノを数年ぶりに(もしかしたら10年以上やってないかも)練習しなおしているところだ。
「薄紙をはぐように」という表現をしたくなるほど、少しずつ少しずつ吹けるようになりつつある。
その吹けるようになる過程は、昔とはずいぶん違う。
構造や調性や非和声音のことが見えてくると、指は言うことを聞いてくれるようだ。

コンクールやオーディションを受けまくっていたころの「1拍に16分音符を4つずつ正確に詰め込む」的な練習方法で、曲の頭からしまいまで無理やり吹き通していたときの仕上がりとは、出来が違ってくる。
この「見えてくる」という過程と、ジャズ奏者のアドリブという行為は、かかる時間こそ大いに違うが、共通したものだという最近の自分の考えを、対談の中で補強できた気がする。

雑誌は3月に発売されます。


2005/02/14(月)  リコール問題
シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」および、マズランカの諸作品の演奏体験を持ったことで、ここ数年で自分の奏法と解釈は変化してきたと思う。特に最近の数ヶ月は新たに気付くことが多い。

以前信じ込んでいたことが、あまり宜しくないどころか、間違っていたとさえ感じることもある。アンブシュアのこと、タンギングのこと、練習方法のことなど。

自分はそうやって気付いたそばから修正して行けば良いのだが、学生たちに対してはどうしたら良いのだろう。
特に、卒業してしまった学生たちのことはどのように対処すべきなのか、悩むところだ。
以前僕から教わったことにかかずらって、伸び悩んでいる人がいるかもしれないと思うと、申し訳なくなってくる。
リコールじゃあるまいし、もう一度呼び集めて、「すみませんが、僕は今はこう考えています」なんてやるのも、差し出がましいことだよね。

「あのときも必死で演奏していたんだし、その自分のやり方を学生に一生懸命伝えようとしていたんだからしょうがない」と考えるしかないのかもしれないとは思うのだが。


2005/02/13(日)  なにわオーケストラル・ウインズ
ガキのころ、どうしようもなく無念だったことの一つに、「カネがない」ということがあった。
近所の駄菓子屋に行って、「もっといっぱいクジを引きたい!」とか「メンコを山ほど買いたい!」とか「銀玉鉄砲を買いたい!」などと思っても諦めざるを得なくて、いつも未練たらたらでお店をあとにするのであった。

だいぶ前のことだが、大人になり少しは自分の自由になるお金ができて、モデルガンなんぞを1挺買ってみたりしたことがある。
昔ほどではないにしても、そのときは幼いころの興奮がヒヨヒヨと心のうちによみがえった。

「なにわオーケストラル・ウインズ」という団体のCDを聴いて、なぜかそんなことを思い出した。
日本各地のオーケストラに在籍するプレーヤーたちが、年に一度、5月の連休のころに集まって吹奏楽をやるというコンサートの、これはライブCDなのだ。
ホルストや大栗裕などの有名な作品が、吹奏楽の名曲としてではなく、クラシック音楽の名曲として新鮮な感動をもって再現されている。
ここでは、メンバーたちのなんと嬉々として演奏していることか!
僕はこれをiPodに入れて持ち歩いているのだが、電車の中で聴いていて思わず落涙しそうになってしまったほどだ。

僕が今よりずっと楽器がヘタクソだったころ、富商(富山商業高校吹奏楽部)の演奏を聴いてゾクゾクしたり、国立音大のブラスオルケスターを聴いてぶっ飛んだり、ノースウエスタン大学のウインド・アンサンブルに感動したりしていた。
「ああいうふうに吹いてみたい!」というのが、そのころの願いだった。
曲がりなりにも楽器を演奏するための技術を身に付けた今、少しずつだが、僕も自分のやりたいことを形にできつつあるように思う。

実は、この「なにわオーケストラル・ウインズ」に、今年は僕も参加させてもらえることになったのだが、あの音の中に自分も入れると思うとワクワクしてくる。今から、5月がとても楽しみだ。

http://www.geocities.jp/naniwa_orchestral_winds/


2005/02/12(土)  温故知新
マウスピース地獄にハマってしまった。
現在、アルトだけでも以下のごときマウスピースが転がっている状況なり。

S90 180(現役)
復刻版ソロイスト D
S80 C*
その前のモデル C*(ボトムに彫刻が施してあるヤツ)
同じモデルのメタル C**
ソロイスト C*, D(そのまた前のモデル。いわゆるヴィンテージ物のショートシャンクというヤツ)
同じモデルのメタル C**(ミュールのレコードジャケットに写っているヤツ)
そのまたまた前のモデル C**(ショートシャンクのなかでもボトムの彫刻部分が四角いヤツ)
ヤナギサワのメタル試作品
オットーリンク・ラバー5*
ノーブランドの訳分かんないほど昔のヤツ

それらのマウスピースに合わせるべく、リードは普通のヴァンドレンの3のほかに、JAVAの2半、3、3半などが散乱している有り様。

加えて、約90年前に製造されたと思われる、Adolphe SAXブランドの楽器を入手し、その古拙なる音を玩味している。

一時期、自分のアンブシュアや音が失われそうになるほど、いろいろな組み合わせを試しまくった。
ヴィンテージ物を実際の本番で使用する可能性は低いが、その魅力は大きい。
ショートシャンクで吹くイベールのコンチェルティーノは、僕の理想に近い音だ。
Adolphe SAXの楽器で、トリルなんぞをホロホロとかけてみると、ミュールの吹く「マルボロ変奏曲」の響きがする。

今のところの感想は、「温故知新」というところだ。
古いものの良さと不便さを知ることで、新しいものの特長がより良く分かる。
今しているこの経験が、自分の音にかなり大きな影響を与えることは確かだ。


2005/02/04(金)  卒業試験
音楽大学では、卒業実技試験の季節です。
小学校や幼稚園以来の長い長い学生生活が、終わりを迎えるときが近づいています。

学生たちは、それぞれに全力で演奏を終えては、ステージを去って行きます。
それを拍手で送りながら、僕は祭りが終わるときのような一抹の淋しさを感じています。

いまさらながら、大学というのは、離合集散の場であることを再確認させられています。
ほぼ偶然に近い出会いの師弟関係、4年間で数十回のレッスン。
学生たちが得たものは何だったのでしょう。
僕は少しぐらいは役に立ったのでしょうか。
彼らの将来に幸あれと願うばかりです。

この季節は、いつもそんなことを考えます。


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